膨大な昼飯を食べた後、マカオの”顔”である聖ポール天主堂跡へ向かうことに。セナド広場からの聖ポール天主堂へ向かう道は非常に入り組んでいますが、観光客の波に乗れば多分着くはず、、、と踏んで適当に歩いていきます。
大堂(大堂, 聖母聖誕堂, Catedral Igreja da Sé)とその前の広場に出ました。何気なく出くわしましたが、世界文化遺産に登録されている建築物と広場のようです。
こういう教会とその前に広がるちょっとした広場、ベルギーやスイスで見たような気もします。雰囲気は西洋です。よく見ると彫刻が龍?だったり魚?だったりで東洋っぽいモチーフですが。いかにも西洋と東洋が融合したマカオを象徴するような雰囲気で素敵。
広場の畔にある大堂(聖母聖誕堂, Catedral Igreja da Sé)は、何か修理作業が行われているようですが、、、、
足場が竹だ!!しかも横板は渡されていない、単なる竹の格子が足場になっているようです。地面と竹筋の設置面も超適当な感じがするし、下を歩いている歩行者の安全確保的なものも無い。この辺は中国っぽいですね。。。大丈夫なんだろうけど日本の社会に慣れていると焦るります。
大堂を後にして、聖ポール天主堂跡に向かいますが、また途中の道端になにやら人が屯している店があります。気になる。。。
人の肩越しに見ると、おでんの具のような練り物?が串に刺さって、たくさん並んでいる。
おでんのように出汁で食べるのかな、、、と思いきや、これをカレー風味のタレに付けて食べるようです。このカレーおでん屋台が4軒くらい並んで、観光客がこぞって購入して食べているのを見ていると、私も食べたくなるから不思議です。
エビの団子のようなやつと牛のセンマイ?のようなもの、その他適当に指差し注文。
あんなに昼飯を食べたのに案外簡単に胃の中に入る。見た目より優しい味でした。
カレーおでん屋から再度人並みに乗って歩くこと数分。ひときわ観光客が多くなってきたな、、、と思ったら道の先に見えてきました、聖ポール天主堂跡!
たくさんの観光客の数!
聖ポール天主堂跡は大三巴牌坊, Ruinas da Antiga Catedral de Sao Pauloとも呼ばれますが、現存しているもののうち目立っていてシンボリックなものは↑写真の壁。マカオの世界文化遺産の中心的存在で、マカオの顔になっている建築物です。カトリック布教のアジアの前線基地として16世紀に建築されたたようですが、ポルトガルの没落→英国の隆盛と同様の流れで、マカオの没落と香港の隆盛により、この天主堂も19世紀の火事でこの壁を残して焼失し再建もされていない。。。そのような歴史の背景をもって改めて天主堂跡を眺めると、何か歴史の重みのようなものに感慨を抱きます。
が、あまりにも観光客が多く、今は歴史やその宣教師云々に静かに想いを馳せる雰囲気ではなく、単なる賑やかな観光スポットに。
深夜特急の旅の頃、この壁は子ども達の鬼ごっこの遊び場だったり、近所のおばさんの買い物の近道になったりしているといった描写があり、主人公は長閑な雰囲気の天主堂跡前で夕陽を眺めるシーンが印象深いです。そして深夜特急のマカオの描写では、カジノのシーンに比べると天主堂跡は静かでのどかな雰囲気の聖ポール天主堂跡の描写になっていますが、現在の天主堂後跡は大勢の観光客が押し寄せる場所で子供たちが鬼ごっこを行うどころではない。
壁の裏側に廻ってみると、、、
華美な装飾もなく、焼け焦げたような石の壁。そしてこれ以上崩れないように近代技術で補強されている。この表裏のギャップもまた華やかなのカジノと複雑な歴史に裏打ちされたマカオを端的に象徴するものかもしれません。どっちが表と見るかは人によると思うけれども。
聖ポール天主堂前の階段から望むマカオの街はこんな具合、、、
左上の特徴的な建物はリスボアホテル。階段下の建物もなんとなく欧州風だけど新しい建物かな。
聖ポール天主堂跡を降りて街へ。天主堂跡周辺の道路はみやげ物屋が乱立し、中国人観光客でごった返しものすごい喧騒です。
天主堂周辺のみやげ物はなぜか干し肉?を伸ばしたものが多く、これを中国人観光客がこぞって買っていました。なぜマカオで干し肉なんでしょうか。
我々は干し肉も要らないし(そもそも日本はこの手の肉の加工品は持ち込み禁止か?)土産もお腹一杯なので静かな下町方面へ逃れることにしました。
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