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海底に眠るゼロ戦を訪ねて~パラオダイビング旅行記8~

マンタで2日目ダイビングを終えた翌日は、パラオのダイビング最終日です。ダイビング一本一本の中身が濃いのですが、旅行全体ではやっぱりあっという間に過ぎていきます。

3日目の一本目はパラオ沖に眠る旧日本海軍の戦闘機・ゼロ戦(零戦、零式艦上戦闘機、連合国側ではZero、Zeke(ジーク)といろいろな表記、呼称がありますがこのサイトではゼロ戦と表記します。)を訪ねます。ゼロ戦は私のようなひよっ子でも名前を知っている太平洋戦争を代表する日本の戦闘機で多くの悲劇の主人公にもなっています。ゼロ戦について詳しく書く知識は持ち合わせていないですし、それはこのサイトの目的ではありません。しかし、海底のゼロ戦を訪ねること、南洋で散華された方を偲ぶことは、悲劇を繰り返さないために何をすべきか大事なことを考える切っ掛けになると思います。

では参りましょう。

この日は12月11日、朝6時に集合です。今日は雲が多く、朝は小雨がぱらつく天気。昨日と同じくマラカル島のダイビングショップ前から出航し、走ること10~15分ほど。船が止まったのはこのような海の上でした。
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陸まではそこそこ距離があります。インストラクターさんの潜行前の説明によると、水深20m前後の海底のほぼフラットな海底に、ゼロ戦は上下がひっくり返った状態で沈んでいるとのことです。船上から海底に目を凝らしますがゼロ戦は見えませんでした。

タンクを背負って、フィンを履いて、マスクを被って、いざ、海の中へ、、、という段階でトラブルが発生します。マスクを被ろうとした瞬間にマスクのストラップが切れてしまいました。9月の八重山に行った際にストラップに亀裂が入っていたので取り替えたばかりだったのに。決して軽い気持ちでここのポイントに来ておりませんが、やはり特別な場所なのかな、と頭をよぎります。

マスクがないとダイビングは無理なので”やってしまった感”が漂いますが、点検してみるとストラップが切れた箇所はストラップ固定部分で最も端っこの部分。私より頭の小さい妻なら切れたストラップの丈を短くしてマスクを使えそうなので、私と妻のマスクを取り替え、気を取り直して海へ。

潜行していきます。海上からは見えなかったのですが、海に入って目を凝らすとうっすらと機体が見えました。潜行中の動画を撮ってみました。あまり意識していなかったら 、くるくる回りながらの潜行になってしまいましたが、徐々にゼロ戦が見えてくる様子が分かると思います。

 

ゼロ戦の上5mくらいの位置から全景です。
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上下ひっくり返った状態なのでコクピット側は見えません。胴体に両翼がくっついた状態です。(ゼロ戦の写真や図面はwikipediaのサイトにたくさんありますので、ご参照ください。私は太平洋戦史、戦闘機の構造に疎いので、ここに書いてある戦史やメカニカルなことはご参考程度でお願いいたします。)

透明度は潜っている間にも変化して、良くない時はゼロ戦の頭から尻尾(ゼロ戦の全長は9.0~9.2m程度)が見渡せる程度、平均すると15m程度といったところです。

前側から。この写真を撮ったときは大分濁りが強いです。
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沈んでから70年が経っている割には、比較的いろいろなものがよく残っている機体と思われますが、泥や付着生物に覆われた飛行機の姿は、70年前の大戦が生々しく迫ってきますし、胸を締め付けるものがあります。

エンジン・プロペラ部前側から。プロペラが墓標のように立っています。このプロペラは70年間ここに立ち続けてきたのか・・・。
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太陽が海上に高く上がってきたようです。
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70年前の太平洋戦争を実際に戦って、そして散った機体を前に、まずはパラオ海域で亡くなった方に心の中で黙祷します。

 

エンジン・プロペラ部を真横から。
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プロペラがまっすぐの状態で残っているということは、この機が着水したときにエンジンが止まっていたことを表すそうです。

プロペラの後ろの”首”の辺りです。
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多分エンジンとかその辺だと思いますが配管がぎっしり詰まっており、多くの技術が使用されているのがわかります。70年間海の中でもよく残っているものだと思います。このゼロ戦は五二型(A6M5)と呼ばれる型のようです。

 

右側の翼の前側に出ていた筒状のもの。
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このゼロ戦は上下にひっくり返った状態なので、通常なら左翼の前側に突き出ているもので、この筒はゼロ戦の機銃のようです。Wikipediaの遊就館に展示されているゼロ戦五二型 (A6M5)の写真にもこの筒状の機銃があります。遊蹴館の保存機に比べると、この機の機銃の丈は随分短く見えます。着水・着底時に折れたのか、それとも海の中で錆びて折れたのでしょうか。

ゼロ戦の左後ろ側から。フラップのところが開いています。

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近寄ってみるとこんな具合。
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70年経っても中の構造が確認できます。

ゼロ戦の最後尾の部分。
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尻尾側には大きな穴が開いています。またお腹の辺りからなかなか立派な枝状ミドリイシが生えています。これはこの場所で長年ゼロ戦が安定していたことを示します。

 

ここまでは戦闘機としてゼロ戦を構成していたエンジン、機銃、翼、プロペラや胴体の現在の状態を紹介してきました。しかし墜落から長い時間が経過し、この場所でゼロ戦が果たす役割は”墜落した戦闘機”ではなくなっていました。

先ほど紹介したフラップの下には、、、
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無数のスカシテンジクダイが暮らしています。

ゼロ戦は戦闘機として、時には命を奪う宿命を負って産まれてきましたが、戦闘機としての役割を終えた現在は、多くの海の生命の住処となっています。
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右翼の下に潜り込んでライトで照らしてみると、こちらも熱帯の海に住む小さな魚の代表格であるキンメモドキとのスカシテンジクダイが多く群れていました。

ゼロ戦から少し離れた所に、何かの部品のような四角い箱が落ちています。
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青と黄色のカラフルな体の一匹のソメワケヤッコが住処にしていました。

ゼロ戦ができた当時、画期的な合金だった超ジュラルミン、超々ジュラルミンで作られた翼の上には、、、
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チャツボボヤが生え、その間を剽軽な形態と顔の2匹のオビイシヨウジが仲良く泳いで(這って?)います。この写真は妻が撮影しました。ゼロ戦ポイントで私が最も気に入った写真かもしれません。

胴体部のちょっと陰になっているような部分にも何か住んでいます。
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透明で小さなエビがたくさん!ベンテンコモンエビです。これもマクロ生物好きな妻が撮影。相手は小さいし透明だし、そこそこ深く暗めの海だったので苦労して撮影したようです。

そして墓標のようなプロペラにもこんな生き物が。。。
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ウミシダに擬態したつもりのニシキフウライウオ。プロペラもウミシダやチャツボボヤといった付着生物に覆われています。これも妻が撮影、私はマクロの生き物をちまちま撮るのが苦手なのです。。。妻に感謝です。

 

このようにゼロ戦には多くの生物に満ちていました。ちょっとした構造があればそこに付着生物が付き、それを基盤として生態系が成立するのは当たり前なのですが、海底に眠るゼロ戦の機体に多くの生き物が住みついていることにパラオの海の豊かさ、生物や自然の強さを感じます。これはあまつ丸でも感じたことです。
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このゼロ戦は海の生き物たちの住処になりながらここに在り続け、たまにダイバーの訪問を受けると、無言で雄弁にいろいろなことを語りかけてきたのだと思います。その内容は受け手によって異なると思いますが、私は戦争、パラオという国、日本という国、その日本と戦ったアメリカ、歴史、死、海の環境、海洋生物、家族や先祖のこと、現代社会、そして平和について考えさせるダイビングになりました。

名残惜しいですが、ここらでタイムアップ。海底にいるゼロ戦を見下ろしながら浮上します。ゼロ戦で暮らす多くの生き物を見た後だからか、最初に傷ついた機体を見たときの印象より少し救われたような、慈しみがあるような機体に見えてきます。
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妻がゼロ戦の上にいる私の写真を撮っていました。このゼロ戦ダイビングは私の100本目の区切りのダイビング。ドカーンとしたお祭りダイビングではなく、静かにいろいろ考えながら潜れたのは自分ぽいと思いますし、やっぱりこのゼロ戦を見られてよかったと思います。

この時のダイビングログを見ると、ダイビング中の平均水深16.2m、最大水深20.8mとなっております。ゼロ戦はほぼ水平で海底に横たわっていたので、ゼロ戦は水深18~20m程度に眠っていると思われます。

海面に上がり、船を走らせ港に戻ります。天気は回復傾向のようで、大きな積乱雲が空に向かって立っていました。
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いろんな意味の充足感を持って、港に戻ります。

マンタやアジの群れを見るために多くの人が訪れる豊かで美しく、そして強い生態系を持つパラオの海。一方で重い歴史を持ち海の中に眠る戦跡からいろいろなことに想いや考えを巡らせることも出来るのもパラオの海。これらの海はつながっており、両方ともパラオの海。両方の海を見ることがパラオの海をそのまま見るということだと思います。

帰港後、朝食を頂いた後は昨日と同じく豊かな生態系が拡がるパラオの海に出ます!

 

 

※以下は訪ねたゼロ戦について、帰国後調べた情報やその後いろいろな情報などです。何かのご参考になれば幸いです。

 

1.私が見に行ったゼロ戦の位置。

マラカル島からボートで南方向に進みました。港10分から15分くらいだったと思います。私の感覚ですとUlebsechel島の西から南にかけての辺りだったと思われます。

 

2.パラオ近海に沈む旧軍の沈船・戦闘機の資料について

実際に沈船や戦闘機ポイントに潜って、写真を掲載し、情報に詳しい書籍に以下のものがありました。このページを纏める上でもとても参考にしましたので、紹介します。

今回私が訪問したゼロ戦やあまつ丸のほか、ダイビングポイントになっている旧日本軍の艦船、飛行機の情報が纏められています。

 

3.パラオ近海に眠るゼロ戦について

一般人がレジャーダイビングの範疇内で行くゼロ戦は本ページで取り上げた機の他、水深2mくらいの極めて浅い海域にももう一機あるようです。そちらは潮が引いている時にはプロペラの一部が海上に出てしまうようで、ダイビングではなくスノーケルで行くのが一般的なようです。 ”パラオ ゼロ戦 スノーケル”、”パラオ ゼロ戦 ダイビング”、”Palau Zero” などで検索すると関連情報がたくさん出てきます。

 

4.2016年1月27日の72年ぶりのゼロ戦の国内飛行について
この記事を書いているのは2016年1月26日です。明日27日は数十年ぶりに日本の空をゼロ戦が飛ぶようです。この熱すぎるプロジェクトのウェブサイトはこちら。飛行予定のゼロ戦のオーナーの石塚さんの想いには心打たれます。またプロジェクトのサイトにはゼロ戦を解体・復元するときの写真があり、パラオの海に眠るゼロ戦の構造に通ずるものがあり興味深いです。
→翌27日になりました。無事に零戦は飛行したようで、良かった良かった。

 

5.2016年1月27日の天皇・皇后両陛下のフィリピンご訪問について
この記事を書いていたら、両陛下がフィリピンをご訪問され、太平洋戦争の犠牲者の慰霊もなされたとのこと。昨年のパラオご訪問に続き、本当に頭が下がります、、、。陛下はこのご訪問の晩餐会のごあいさつで「昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、このこ とにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこの ことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。」とおっしゃっております。私のパラオの旅は慰霊というにはおこがましいものですが、私自身、現代社会人が大戦の犠牲者の方々や社会の在り方に想いを巡らすきっかけになったと思いましたし、読んで頂いた方にもそのような思いをめぐらすきっかけになれば幸いです。

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